シングルファザーの僕が子育てで大切にしていた7つのこと。という記事がそれなりに読まれています。
グーグルで「シングルファーザー 娘」や「シングルファザー 子育て」で検索すると上位に表示されているようです。
書いた記事が読まれるのは嬉しいことなので、調子に乗って「シングルファーザーの教育論」という続編を書いてみます。
タイトルのとおり「子育て」と「教育」は異なるものだと考えて娘とは向き合ってきました。
もしも、子育てがうまくいかない!や、子供との関係がギクシャクする!という場合は、子育てと教育が切り離されているか検証してみましょう。
まずは僕なりの「子育て」と「教育」の定義を簡単に説明しておきます。
子育て 子供→親
教育 親→子供
シングルファザーの僕が子育てで大切にしていた7つのこと。を読んでいただくとわかりますが、「子育て」で大切にしていたことは、「娘の気持ち」です。子供の言動に対して親がアクションすることが「子育て」です。
では教育はというと、こちらは親から子供へアクションすることが「教育」だと僕は考えていました。
例えば、赤ちゃんが初めてつかまり立ちをした。その瞬間を見ていた両親は感動して喜ぶ!これは「子育て」です。
赤ちゃんにつかまり立ちの仕方を教える親はいませんよね?(笑)
同じように、こちらが教えなくてもできるようになったことや自発的な発言、行動を親が受け止めポジティブにアクションしてあげることが「子育て」ではないでしょうか。
(ときには叱ることもあるかもしれませんが)
子供がはじめて歩いた姿を見て「人間、いつかは歩けるようになるんだから、あたりまえのことじゃない!」と冷めた言葉を赤ちゃんに浴びせた親はいないでしょう。
つまり、子供から親へアクションがあったとき、親は大人なんだからいったん全部を受け止めてリターンしないといけないのです。
シングルファザーの僕が子育てで大切にしていた7つのこと。にも書きましたが、例えば制服のデザインで高校の進路を決めようとしている子供に対して直感的、感情的に「そんな動機で進路を決めてどうするとね!」と言ってしまうのは子育てが上手だとは言えません。
親は大人です。いったん受け止めてあげてから、「制服かわいい!似合いそうよね。で、その学校ではどんな勉強ができるの?」と話を合わせながら、子供に気づきをあたえてあげるのが子育てです。
このように子供が小さいころは、上手にできていたリターンが徐々にできなくなっていく原因のひとつに、「子育て」と「教育」を混同してしまいがちだからだと僕は考えます。
それでは僕がおこなってきた「教育」で大切にしていたことを具体的に説明します。
シングルファーザーの教育論
躾
娘が小学校1年生のときに妻と別居し、のちに離婚したのでシングルファーザーの躾ではなく、まだ夫婦だったころの我が家の躾の方針です。
僕たちは若い夫婦でした。僕と元妻は同じ年で21歳のときに娘が生まれました。
そのときに「親が若いから、あの子は躾がなってないんだね」と娘が後ろ指をさされるのだけは絶対に避けなければいけない。と強く思っていたのを覚えています。
とにかく公共の場ではTPOに応じて周囲に迷惑がかかならいように気をつけることが第一だった記憶しています。
例えば、病院や図書館では最大限に静かにする。
公共交通機関では騒がない。
デパートやスーパーでは走ったりしない。
その程度の簡単なことばかりでしたが、とにかく周囲の人に迷惑にならない!というのが大前提だったと記憶しています。
娘の通っていた保育園が自分の身の回りのことは自分でする!という教育方針だったので、保育園に通っているうちに整理整頓などは自分でするようになっていました。
ということで小学校に入ってから時間割や忘れ物をしていないか?などチェックしたことは1度もありませんでした。
習い事
僕はピアノを弾ける人に強い憧れがあります(笑)
偶然、元妻がピアノを弾けたので、娘も小さい頃からピアノを習わせたいと考えていました。
しかし、元妻が了解してくれません。当時はある程度、僕に賛同してくれていたのにピアノのことだけは頑なに反対し続けたのです。理由を訊くと「ピアノのレッスンはつらかったから」と、ひと言。
元妻の通っていた教室の先生は厳しい指導方針だったらしく、ピアノのレッスンに良い思い出はなかったそうです。
「本人がピアノをしたい!っていうならまだしも、親からの押し付けでピアノを習わせるのはイヤかな」
と言われたときに、僕は引き下がりました。
その後、元妻がピアノを弾いて僕が歌を唄う!みたいな休日の過ごし方をしている時期(仲良い頃もあったのですね 笑)があったのですが、娘はピアノに関心を示すことはありませんでした。
元妻が言ったように、親の押し付けで無理やりピアノを習わせていたらツラい思いをさせたかもしれません。
(娘が17歳ぐらいのころ、あたしピアノ習いたかった!と言ったことがあり、ピアノ弾ける環境やったけど、一切興味を示さなかったよ!と言って笑ったことがありました)
ピアノを習わせることはできませんでしたが、水泳を習わせることには元妻も賛成してくれました。
なんといっても水泳は健康にもいいですし泳げて損をすることはありませんからね。
子供に習い事をさせるときは、本当に本人がやりたいのか?(親のエゴではないか?親の夢を押し付けてないか?)などをよく考えてからにしたほうがよいでしょう。
勉強
僕は勉強ができないし教養もない!という自覚があったので、娘が生まれたことをきっかけに育児書をたくさん読みました。それまでの人生、読書なんてしたこともなかったのに親になった途端に読書し始めて今では読書が趣味のひとつになりました。人生って面白いですね。
たくさんの育児書を読んで出した結論は、勉強のことは完全に外注しよう!ということでした。
学力のない僕が娘に勉強を教えるのは不可能だと判断し、小さい頃から勉強のことはお金を払って他人にお任せしようと判断しました。
小学校に入学する1年前ぐらいから公文に通わせることに。教科は国語と算数。これは小学5年生まで続けました。その後は高校入試まで学習塾へ通わせました。
これだけやって学力が高かったのか?と訊かれたら、正直よくわかりません。
たぶん全体の平均より少し良いぐらいだったと思います。
(中学3年のとき長崎県内の模試で2000数百人の内、国語が90番代になったことが1度だけありました。成績は国語だけ良くて、数学が絶望的に苦手という典型的な文系だった思います)
でも、もし勉強のことを外注しないで家庭で指導していたら、きっと平均よりも悪い結果になっていたんじゃないかと思います。なにより親子関係がうまく機能しなくなっていたかもしれません。
僕が勉強のことをアレコレ言うとお互い雰囲気が悪くなり、親子関係がギクシャクした可能性もあります。勉強のことを外注することで、勉強のことや成績のことには一切口出しをしない!という方針を決めていたので良好な親子関係を続けることができたと思います。
ただひとつ、勉強のことで親子の約束事は「宿題は必ず提出する!」これだけでした。
勉強のできる子供にするには
高校側から東大を受験してほしい!と言われている子を持つママさんに、どういう教育をしたらそんなに勉強ができるようになるのですか?と訊いたことがあります。
すると「特別に何かをした記憶がない。なんでこの子がこんなに勉強ができるのか母親の自分も怖い」(笑)っと言っていました。
ただ、強いて言うなら子供が夢中になっていることを遮ったことはない。とおっしゃってました。
そんな勉強ができる子の親は、親が勉強できるに決まってる!じゃん。と思われるかもしれませんが、ご両親ともに最終学歴は高卒でした。
ということで、どーやったら勉強できる子になるのかは、まったくわかんないですね。
お金のこと
女の子にはお金で苦労してほしくないという思いから、小学校低学年のころからお金の教育をしてきました。
具体的には、郵便局で貯金通帳を作り、娘のお金(お年玉など)は自分で管理させるようにしました。
よくある、「このお年玉はお父さん(お母さん)が預かっておくから」ということはせず、満額自分の裁量で好きなように使うことができるようにしたのです。
貯金してもいいし、欲しいものを買ってもいい。
ウチの娘がどういう行動を取ったかというと、地道に貯金し続けました。
小学6年生のときには貯金額が10万円を超えるまでに!
娘は高校卒業後、地元で就職し入社半年後の9月に貯金額は100万円を超えました。
小さい頃からお金を貯める癖をつけるのは大切なことだと思います。
まとめ
僕から娘に対して「教育」と言えるようなことをしたのは「お金」に関することぐらいだと思います。
正直、僕自身が「ろくでもない人間である」という自覚があったので、僕が何かしらのアドバイスをすること自体がマイナスになる!と考えていました。
娘を素直にまっすぐ育てるためには、僕がいろいろと的を得ていないことを言うより、娘の考えたこと感じたことをポジティブに受け止めて共感してあげることが大切だという教育方針でやってきました。
親になったことで気負ってしまい、きちんと育てなくては!という強い思いから、子育てに行き詰っては本末転倒ではないでしょうか。自分は大したことない人間だから!というある意味開き直りは、子育て(教育)にとってプラスになることは少ないかもしれませんが、マイナスになることはないんじゃないかと実感しています。
子育て(教育)に悩んでいる方は、「子育て」と「教育」が切り離されているか検証してみてはいかがでしょうか。
※シングルファザーの子育て論、教育論と二本立てでダラダラと書いてきました。
娘が就職して半年がすぎ、職場の大先輩(子育て終盤の50代ママさん)からも親切に指導していただいているようです。その方と娘は馬が合うみたいで、気さくに話をする間柄のようです。
その方から「○○さんは、きっと子育てに手がかかならい子供だったはずよ」と言われたそうです。
確かにウチの娘は手がかからない子供でした。他のお子さんと比べることができないので定かではありませんが、手がかからない方だったと実感しています。
最近、子育てに悩んで心を壊してしまったママさんの話を聞きました。
やんちゃな男の子でまったく言うことを聞かず、かなりご苦労されているそうです。
子育てには正解がないのがとても難しいことだと思います。
僕を含めて、いろんな人が好き勝手にいろんなことを言う。
冒頭にも書きましたが、僕は娘が生まれて子供をきちんと育てる自身がなかったので、育児書をたくさん読みました。いろんな人がいろんなことを書いています。
真逆のことを書いていることも多々ありました。
子育てはいろんな人の言葉を参考にするのも大切ですが、子供に真剣に向き合って自分の子供に一番適した接し方をしてあげるのが良い方法だと思います。他人はあなたの子育てに責任を持つことはできませんので、最終的には親であるあなたが判断するしかありません。
辛いこと、悲しいこともあるかもしれませんが、神様は手に負えない子供はあなたに授けたりはしません。僕のところに手のかからない子供を授けた理由は、僕がその程度の人間だからです。
神様は「こいつに手のかかる子供を任せたらヤバいな!」という理由から、手のかからない子供を僕のところへ運んできてくれました。
子育てが大変だと感じているママさんはそれだけの器があるからこそ、神様がちょっとやんちゃな子供をお任せされたのだと思います。
あなたには適正があるはずですから、一旦引いてみたり角度を変えてみたりしながら、お子さんに向き合ってみてください。きっと解決策が見えてくるはずです。
お子さんに名前をつけた日のことを思い出してみてください。
希望を持ってお名前をつけたはずです。そのときの思いを大切にお子さんに向き合ってください。
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