大分県中津市にある、青の洞門に行ってきました。
この青の洞門は、ノミと槌で30年をかけて掘ったといわれてるトンネルです。
大正8年に発表された菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」で一躍有名になった、禅海和尚が掘った洞門(トンネル)で、耶馬渓を代表する名勝である競秀峰の裾野に穿たれている。
諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓へ立ち寄った禅海和尚は、極めて危険な難所であった鎖渡で人馬が命を落とすのを見て、慈悲心から享保20年(1735)に洞門開削の大誓願を興したと伝えられている。
禅海和尚は托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門が完成した。
寛延3年(1750)には第1期工事落成記念の大供養が行われ、以降は「人は4文、
牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てており、日本初の有料道路とも言われている。
完成当初は樋田の刳抜(くりぬき)と一般に呼ばれていたが、江戸末期から大正にかけて樋田のトンネルや青の洞門と呼ばれるようになり、大正12年4月尋常小学校国語読本巻第21詠には青の洞門と書かれており、昭和17年に大分県の史跡指定にあたり、青の洞門が正式名称となったようである。
明治39年から翌40年にかけて行われた大改修で大部分が原型を破壊されたと言われており、現在の青の洞門には、トンネル内の一部に明かり採り窓などの手掘り部分が残っている。
中津市のホームページより
全長342mをノミと槌だけで掘るとか、すごいですね。現在のトンネルは大改修で大部分が原型をとどめていないそうですが、明かり窓などには手掘りの部分も残っているようです。
青の洞門は、羅漢寺とセットで観光することをオススメします。
コメント