会社で世間話をしていたら長崎の歴史の話になり、「長崎惣町復元図」という1枚の古地図が発売されていることを教えてもらいました。
調べてみると、布袋厚さんという方が編集し長崎文献社から出版されています。
その古地図「長崎惣町復元図」を元に江戸時代の長崎を解説したのが「復元!江戸時代の長崎」という1冊の本です。
現代の長崎の地図上に江戸時代の古地図を重ね合わせた画期的な地図は、とてもみやすく江戸時代の長崎の街がリアルに蘇ります。
地元の人が愛着をいだく旧町名は長崎文化
長崎の町名には、出身地や職業に由来する名前が多いそうです。
ぱっと頭に思い浮かぶ町名がいくつかありますよね?でも、実は出身地に関係がなく、別の意味でつけられた町名もあったりして大変面白いです。
今年の長崎くんちで、長崎の街を元気にしてくれた万才町。みなさんも万歳しましたよね?
以前、万才町は嶋原町という町名でしたが、あることを記念して万才町に改められました。
気になりますよね?正解は、読んで確かめてみてください。
お寺と神社 町をとりかこむ2つの配列
長崎駅前の本蓮寺から松の森神社までの列と寺町の2つの列。
江戸時代には、今よりもっと多くのお寺があり、町の周囲をびっしり固めていたそうです。
消えてしまったお寺や郊外に移転したお寺、明治政府による神仏分離で神社に変えられてしまったお寺など、事細かに書いてあるので神社やお寺に興味がある方も必読です。
徳川家ゆかりのお寺もあったなんて知らなかった!ある場所には、葵の紋が彫られた石門が現在も残っています。
江戸時代の海岸線と川筋
「復元!江戸時代の長崎」この本の1番すごいところは、江戸時代の地図と現代の地図を精密に重ね合わせたところです。
長崎古写真展などで、江戸時代後期の長崎港の写真はみたことがあったので、今より港が広かったことは認識していましたが、現代の地図上に江戸時代の地図を重ねてみると、長崎駅から大浦付近まで大規模に埋め立てられていることがわかり驚かされます。
川筋も現在より広く、今もこんな川あるの?という川の名前を目にすることも。
長崎の名所・旧所 いま・昔
忠臣蔵の原型ともいわれる大事件、長崎喧嘩騒動はどこでどのようにしておこったのか。
思案橋はどこにあったのか?現在あるモニュメントは少し位置が違うようです。
寺もないのに大徳寺、といわれる理由。
市役所別館がある場所には、拷問所があった!
築町にない築町電停の謎。
などなど、歴史的に記憶されている名所・旧所を現代の写真、古地図を利用してさぐっていきます。
復元図で長崎町あるき
復元!江戸時代の長崎では、江戸時代の面影ある場所が数多く紹介されています。
長崎には、当時の石垣や階段が残っていたりと、歴史を感じることができる場所が多くあり、この階段をあの偉人も登ったのかな?なんて想像しながら町歩きすれば楽しさ2倍です。
さいごに
中学生の頃、歴史が大っ嫌いで「過去は振り返らずに、未来に向かって生きようぜぇ!」と、社会の先生に言ったことで、マジ切れされたのはいい思い出です(爆)
そんなボクが歳を重ねるごとに長崎の街に興味を持ち、少しでも多く長崎のことを知りたい!と思ってきたのは、やっぱり長崎が好きだからだと思います。
「復元!江戸時代の長崎」は、ボクみたいに歴史が苦手な方が読んでも、現代の写真や地図と古地図を比較して説明しているので、取っ付きやすくとてもわかりやすい内容になっています。
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